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40歳の筋肉痛

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40歳の筋肉痛

いつから人は老いるのでしょうか。
それは「気持ち」が衰えるときだと思います。

休みと予定と天気がかみ合い、久しぶりに家族3人で砂丘に行ってきました。
息子は相変わらず走るのが好きだから、馬の背という一番高い場所から海まで急勾配の坂を3往復。

「タイム測っといてよ!」。そう言っては、何度も坂を猛スピードで降って、頑張って登ってくる息子。
妻はその様子を見つめ、僕はカメラを構える。ほんとよく走る・・・。
そのうち、少し飽きたのか、疲れたのかわかりませんが、ふいに「父さんも走ったら?」と、言うのです。

いやいや、無理だから・・・。
父さん、こないだの誕生日で40歳になったんだよ、と。
最近運動もできてないし、無理、無理。

そんな言葉が口から出てくるのです。正直、そこで走らずに終わりかけたんですね。
98%くらいのところまで走らない気持ちになっていました。

が、ふと「あれ?」と。
自分の口から出てきた言葉が、心の何かに触れたのです。

「いつから自分はこういう場面で走れなくなったんだろうか」
それを自問自答しました。多分、体力的にはしんどいでしょう。でも、体は至って健康です。
こういう場面で走らない、走りたくない人もいて当然ですし、それはそれで良いのですが、
自分という人間はここで「走る」を選んできた人だったのです。

走らないと選択する自分になるか。
よし!走ろうと決める自分でいるか。

別に走ろうが、走らまいが、世界は変わりません。他の人にとってはどっちでも良いことです。
そのどっちでも良いことは、実は僕の中では大きくて、自分の「選択」と「行動」を試されているような気がしたのです。
自分自身では本当に「あ、ここで自分はどっちを選ぶのだろう」と思いました。
答えは、決まっていました。

昔はこんなのじゃなかった。。。
本当にしんどい。。。
そう思って砂に手足をついて這いつくばって坂を登り切りました。
体力の衰えは感じたんですが、清々しい疲れでした。

あの時、もう少しで歳をとるところでした。
「やってみよう」「楽しんでみよう」
そういう気持ちを忘れかけていた自分に喝を入れてくれた。

そんな40歳の筋肉痛でした。

藤田和俊

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