僕はもともと鳥取県の地方新聞社で働く新聞記者でした。
会社員を辞めて2年がたち、ちょっと懐かしい感じもしてきています。悩み始めてから会社員を辞めるまで、要した時間は実に5年間。30代の半分を悩みの中で生き、最終的には辞める決断をしました。そもそも「僕ら、」の成り立ちについて知ってもらう機会にもなるかなと思い、「会社員、やめました」のシリーズを書いてみようと思います。
今回は、「きっかけ編」です。
2014年の秋。高校野球の試合を取材している時でした。「藤田くん、今度鳥取に来るんだってな。よろしくね〜」。一通のメールがスマホに届きました。発信元は鳥取本社で働く先輩記者。一瞬にして異動のことだとわかりました。僕はスコアブックを片手にカメラを構えていましたが、気が気でありません。白球を目で追いながらも、気持ち的にはボールカウントを数えているどころではありませんでした(もちろん仕事はきっちりとやりました)。
当時、僕はスポーツ取材を担当していました。もともと高校生の頃に「Number」というスポーツ雑誌と出会い、アスリートの内面やスポーツの奥深さに触れ、鳥肌を立てながら読んでいた僕にとって、J3のガイナーレ鳥取の番記者をさせてもらったり、甲子園取材に行かせてもらったり、好きなスポーツを現場で取材できたことは、とてもやりがいのあることでした。
ただ、状況や環境は変わるもの。出張の多い仕事で家を開けることが少なくなく、息子が生まれたこともあって家族の暮らし方を考えるようになり、家を建てる計画をはじめました。また、スポーツは好きでしたが、30代にもなると「アスリート以外にも、もっといろいろな人に会ってみたい」と思う気持ちもありました。そんなタイミングだったので、担当が変わることはまだしも、実は家を建てる計画が頓挫したことは大きかったです。なんせ内示があったのが契約の3日前くらいでしたから(笑)。こういうことって、まさか自分には起こらないだろうと安気に考えていると起こるんですね。このことがあって、「自分の人生も自分で決められないのか・・・」と会社員であることを考えるようになりました。
僕は「こうなったらいいなぁ」という夢みがちなところがあります。それまでも、どこか「いつか自分で本を作ってみたい」とかノートに書いていたんですが、どうやったらそんなことができるようになるのか、そこに辿り着く道筋もわからず、そんな自信も持てず・・・。だから、会社員を辞めることも想像しなかったし、いつかどうにかならないかなぁと漠然とした淡すぎる期待をするくらいでした。何が転機になるかわからないものですよね。これはその淡い希望を叶えてくれる道なのかもしれない、なんて余裕があったわけではないですが、結果、この異動がきっかけとなりました。
きっかけというのは、半分は自分で作るものなんじゃないかと最近思います。その時の状況を「チャンス」と捉えてやっていくか、どうかでそうなるかが決まるような気がしていて、それは流れてくる舟のようなものです。僕の場合は、この時、舟に乗ってみようと決めました。航海の難しさや過酷さは、この時はまだ知る由もなく・・・(笑)。
その話はまた。
藤田和俊